カーサ・ディヴィーナ・プロヴィデンツァを訪ねて
イタリアはローマ近郊に住む友人宅に滞在した際に、カーサ・ディヴィーナ・プロヴィデンツァ、という名前のワイナリーを訪問してきた。
友人は現地の歴史あるレストランに長年勤めており、「ワイナリーに行きたい。どうしても」という私のリクエストを受けて、勤務先との取引があるワイナリーと交渉、訪問のアポを取り付けてくれたのだった。持つべきものは友だちだ。
というわけで友人の運転するクルマに揺られ、高速道路から見えるキウイ畑を眺めながらカーサ・ディヴィーナ・プロヴィデンツァへと向かった。ちなみにキウイの収穫量世界一はニュージーランド。2位はイタリア・ラツィオ州である。世界は知らないことで満ちている。
カーサ・ディヴィーナ・プロヴィデンツァとラツィオ州ネットゥーナ
さて、カーサ・ディヴィーナ・プロヴィデンツァはそんなラツィオ州のネットゥーナという街にある。ネットゥーナはギリシャ神話のポセイドン、ローマ神話でネプトゥヌス(英名ネプチューン)と同一視される神様の名前だそうで、街にもワイナリーの正面玄関にもネットゥーナ像が飾られている。水の神が守護神であることからもわかるように、港町だ。
余談だがこの街は第二次世界大戦時に米軍が上陸した街であり、その際に持ち込まれた大量のベーコンからカルボナーラが生まれたのだと友人が教えてくれた(※諸説あり)。
ちなみにローマっ子である友人はカルボナーラにはパンチェッタ(豚塩漬け)かグアンチャーレ(豚頬肉の塩漬け)を使い、ベーコンは絶対に使わない(チーズもペコリーノ・ロマーノしか使わない)のだが話を戻そう。
カーサ・ディヴィーナ・プロヴィデンツァと「神の家」の歴史
ともかくそんなネットゥーナの街にあるカーサ・ディヴィーナ・プロヴィデンツァは歴史あるワイナリーで、その創業は1821年まで遡るそうだ。
ただ、この土地が面白いのはむしろ「それ以前」の歴史。かつてこの地はバチカン領で、教会と病院があった。司祭たちはここで暮らしてワインを造り、それを売ることで無料で医療を提供していた。ブルゴーニュにおけるオスピス・ド・ボーヌみたいなものがここネットゥーナにもあったわけですね。
敷地内にはワインを熟成させるための建物があるのだが、そこはもともと礼拝堂だったのだそうで、案内してもらった建物の2階にはキリスト教をモチーフとした絵画などが多数飾られていた。キリスト教とワインの切っても切れない関係性を目視できたのは非常にいい経験だったのだった。
教会があればミサがある。ミサにはぶどう酒が必要だ。教会は信徒から土地を寄進されるケースがあり、寄進された土地でせっかくなんでブドウを育てる。できたブドウはワインになって、教会の現金収入となっていく。なんとなく読んで知っていたような話だが、その“現場”に立っている面白さはまた格別だ。
オーナー家はそんな土地をバチカンから譲り受け、ブドウ畑はそのままにワイナリーとしての近代化を行い、規模を広げていったのだそう。カーサ・ディヴィーナ・プロヴィデンツァは、なんとなく「神の家」みたいな意味。ワインにはその土地をうつす鑑としての側面がたしかにあるよなあとこういう話を聞くと思う。
カーサ・ディヴィーナ・プロヴィデンツァの近代化と発展
カーサ・ディヴィーナ・プロヴィデンツァを訪ねたのは年末も押し迫った12月末のことだったが、直売所は多くの(おそらくは地元の)お客さんで賑わい、とくにボトルから持参の容器に注げるタンクの周辺は大いに賑わっていた。
日本ではスーパーでミネラルウォーターをタンクに汲めるサービスがあったりするが、あんな感じのポリタンクを持った周辺住民が、好みのワインをタンクから移してその分だけお金を払って帰っていく。最高。
友人にアポをとってもらったおかげで、オーナー(創業家・コスミ家当代の姉妹)の夫であるマッシミリアーノさんに畑からボトリング設備までをガッツリ案内してもらえたのだが、そのような歴史と周辺住民からの愛され感とはある種裏腹に、内部は非常に近代化された巨大ワイナリーとなっている。
案内された工場内には大型のステンレスタンクが立ち並び、それがコンピュータで温度管理されている。ボトリングからラベル貼りまで、すべてが行われる巨大工場は、今後数百万ユーロ単位の投資を行って拡張する計画もあるのだそうだ。
カーサ・ディヴィーナ・プロヴィデンツァと土着品種「カッキョーネ」
さてじゃあどんなワインを造っているのかなのだが、カーサ・ディヴィーナ・プロヴィデンツァを、というかこのネットゥーナという土地を代表するのがカッキョーネという白ブドウ。
ネットゥーナのカッキョーネは、土地が砂質であったことでフィロキセラ禍を免れた欧州では珍しい自根ブドウなのだそうで、そのため、ヴィンヤードに植えられたカッキョーネも、マッシミリアーノさんいわく「一番長く働いている人が子どもの頃にはすでに植わっていた」というレベルの情報しかなく、どれくらい樹齢が古いかは正直わからないのだそうだ。すげえ。
カッキョーネに関してはマイナー品種すぎて入手できる情報が本当に少ないのだが、italyabroad.comというサイトによれば古代ローマ時代に広く栽培されていた品種なのだそうで、「黄金色に輝く強い黄色」「強いアロマ、柑橘類と軽いミネラル」が特徴なのだそうだ。樹勢は強く、生産量も豊富。
またも余談だが第二次大戦時に米軍がこの地に上陸した際、このカッキョーネのワインをヘルメットに注いで飲んでる動画があるんだとマッシミリアーノさんがちょっと自慢げに語っていてなんか面白かったりもした。海神の街ネットゥーノは、カルボナーラ発祥の地でありホーム・オブ・カッキョーネでもある。物語にあふれてるなこの街。
カーサ・ディヴィーナ・プロヴィデンツァのフラグシップワインの白もカッキョーネ100%。私はこのフラグシップとそのひとつ下のレンジのカッキョーネを買ってみたのでこのブログを読んでくださる方ももしかしたらいつかどこかのワイン会で私が持参したカッキョーネを飲んでいただけるかもしれない。
カーサ・ディヴィーナ・プロヴィデンツァとレストランと地下貯蔵庫
さて、そんなこんなでみっちりと案内してもらい、買い物もたっぷりして大満足。さて帰ろうとなったのがちょうどお昼時。「よかったらアペロでもどうか?」とワイナリー側からお誘いいただいた。
余談に次ぐ余談だが、私はアペロを「夕食前に軽くつまんでちょっと飲むこと」だと認識していたが、友人いわく昼食前でもアペロ呼びで問題ないのだそうだ。「ランチほどしっかり食べなければアペロ」なのだそうで、時間帯や内容ではなく要はそれに臨むアティテュードの問題であるよう。それをアペロだと思えばアペロである。『アペロ アペ郎』という漫画の原作を書きたい。モーニングで。
ともあれお誘いを受けて断る選択肢があるわけないので「よかったらアペ…」くらいのタイミングで「行きます」と食い気味に承諾し、ネットゥーノの市街地へ。そこにはカーサ・ディヴィーナ・プロヴィデンツァ直営のエノテカ(酒屋)兼レストランがある。
ネットゥーノの街はマッコという硬い石の上にあり、街の地下にはこの石でできた洞窟がある。戦時中避難所として使われた洞窟は元々はワインの貯蔵所として使われており、このエノテカの地下にもその洞窟が広がっていて、ワインの熟成が進められている。
地下洞窟の上にあるワイナリー直営のレストラン。行きたいに決まってるでしょこんなもん、という立地だ。楽しいなしかし。
てっきりマッシミリアーノさん&工場で案内してくれた醸造長のふたりと軽くメシかと思っていたら、この日はワイナリーの仕事納め。オーナー以下全従業員総出の日本でいう「納会」の日だったようで、レストランは貸切。その一角の小さなテーブルが我々だけに割り当てられ、「好きにやってくれ」という感じにしてくれた。繰り返しになるがワイナリーにとって私の友人は「取引先の人」。いわば接待のおこぼれに預かるカタチである。持つべきものは略。
ワイナリーのスタッフはぜんぶで20名くらいだろうか。老若男女が自分たちで造ったワインを酌み交わし、ワイワイと楽しむ。私は、上手くいえないのだがその土地とか日常とかに根ざした「飲み物としてのワイン」が好きなので、この光景になんだかすごく感動してしまったのだった。これが文化だの感があって。楽しい食事と会話には、やっぱりワインがよく似合う。
カーサ・ディヴィーナ・プロヴィデンツァの4種のワイン
さて、この場で飲ませてもらったワインは4種。
まず乾杯に合わせて100%カッキョーネで造られたスパークリングワイン、「 マレディヴィーノ(Maredivino )」。
続いてトレッビアーノとシャルドネのブレンドで造られる「ブレザマリーナ(Breza Marina)」。どちらも青リンゴのようなさわやかさのあるワイン。カッキョーネ、すごくさわやかでクセがなく、フードフレンドリーな印象だ。
合わせたのは生ハム、リコッタチーズとほうれん草入りの春巻き(的なもの)、メランザーネ(なす)のラザニア、パンチェッタを絡めたポテサラ、チーズと卵のオムレツみたいなやつ……といった前菜の盛り合わせ。
料理のクオリティは高く、どれも手の込んだおいしい品ばかり。そのワインを造った人にワインを注いでもらいながらおいしい前菜をいただく。はっはっはっはっはっ(最高すぎて語彙消滅)。
アペロなのでこの前菜だけで十分だと思うのだが、パスタもでた。パスタはローマの名物メニュー・アマトリチャーナ。使うパスタは断面が四角い“トンナレッリ”で、イメージ上のスパゲティと比べたならばうどんと讃岐うどんくらい食感が異なる。つまり硬めでコシがある感じ。
そのパスタが濃厚なトマトとパンチェッタのソースをガッシリ受け止めて大変おいしかったのだがこれに合わせたのがワイナリーのフラグシップ、「ドゥエチェント・アニ (200anni)ビアンコ」。
カッキョーネ100%ながら新樽100%で熟成されるこのワインはまったくの別物。トロリ濃厚な黄金色の液体に見合う非常に分厚い味わいで「こりゃすげえ」となる味わいだった。価格は40ユーロ。マッシミリアーノさんいわく、「1年くらい置いてから飲んで」とのことだった。楽しみ。
シメにはふわりと軽いクッキーのような砂糖菓子のような甘いものが出たのだが、それに合わせたのがドシテオ(Dositheo)という名前のパッシート。
カッキョーネ50%、マルヴァジア・プンティナータ50で造られるワインで、このワインも非常においしかった。甘口ワインながら絡みつくような甘さはなく、春の早朝に採取した花の蜜のような口に含むとサラリと消えるような甘みがあり、酸味もあり、クッキーと合わせて素晴らしい。これを書いている今なぜこのワインを買ってないんだおれはと激しく後悔するワインとなった。
泡にしても新樽で熟成させてもパッシートでもおいしい。この日のワインは図らずもカッキョーネの可能性を感じさせる構成で、カッキョーネというブドウをワイナリーのみなさんがどれだけ大切にしているかも伝わってくる。お肉やトマトソース中心のメニューながら白4本で通したのも面白かった。飲んだのはカッキョーネ(泡)、カッキョーネ(白)、カッキョーネ(新樽)、カッキョーネ(パッシート)。みんな違って、みんなカッキョーネ。
午前中さくっと見て回る予定だったワイナリー訪問だったが結局お店を出たのは太陽も西の空に傾く時分。これからのクリスマス&新年休暇に備えてタンクをもう一度確認しておくと醸造長は工場に戻り、そのほかのスタッフの方々は家族が待っているであろう自宅へと帰って行った。今日の1日はほぼ潰れてしまったが、まったくもってなんの問題もない最高の一日だった。「いやーまさかこんなに良くしてもらえるとは」みたいな感じで友だちも仰天するレベル。だよな。
ワインは特別なものではなく、会話の潤滑油であり、人と人をつなぐ糊のようなものだ。あると人生がちょっとだけ豊かで愉快になるただのアルコール飲料であり、人類の歴史に根ざした飲むことのできる文化体験でもある。そしてプロシュート・コットやブリザオラといったつまみに合わせるならば、飲み物としてはやはりワインが一番だ。つまりワインは素晴らしい。
ボナターレ!(メリークリスマス!)
ボナーネ!(良いお年を!)
アウグーリ!(おめでとう!)
ボニッシモ!(こいつはうまいぜ!)
私が発したイタリア語はほぼこの4種のみだが、ワイナリーの方々と楽しくワインを飲むことができた。ワインは言語を超える。余裕で。
カーサ・ディヴィーナ・プロヴィデンツァ、残念ながら過去も現在も日本未輸入(一時期レストランとの付き合いはあったそうだが)。またイタリアに行って、必ずふたたび訪ねたい。そんなふうに思わせてくれた忘れがたいワイナリー訪問だった。