カザマッタ・ロッソと色彩
人間それなりに長いこと生きていると「忘れられない一言」みたいなのと出くわすことがしばしばある。
「トラブルを歓迎せよ」
とか、
「明日できることは今日しない」
とか、
「みんな違って、みんなキモい」
とかがそうで、私の人生の指針になっていたりなっていなかったりするのだが、そのうちのひとつにこんな言葉がある。
「カラー・イズ・インポータント」
もう10年くらい前の話だが私は当時モノトーンの服ばかり着ていた。そんな私にイタリア人の友人が言った言葉だ。
「色にはパワーがある。カラーを見にまとうことで、そのパワーを身につけることができる」
そんな風なことを友人は言い、その年のクリスマスにものすごく鮮やかな緑色の靴下をプレゼントしてくれた。
それを履いてみて驚いた。なるほど気分が妙に高まるのだ。おれの靴下は緑色だぞ、みたいな気分になる。だからどうしたと言われればそこまでなのだが、勝負事のある日に赤とか勝負色のパンツを履く、みたいなことにはそれなりの根拠があるんだなあとそのとき私は納得したものである。パンツは大切だ。じゃなかった「色彩」は大切だ。それは人の心に作用する。
カザマッタ・ロッソとアート
今から3年ほど前のこと。Amazonで注文したカザマッタ・ロッソのボトルが自宅に届き、それを食卓に乗せたときに私は友人のその言葉を思い出したのだった。
そのイタリアワインのラベルが素敵な色彩をしていて、飲む前からもう楽しい気持ちになっていることに気づいたからである。あ、こりゃカラー・イズ・インポータントだわ、と思った。
当時私は日本酒ばかり飲んでいたのだが、日本酒のラベルでカラフルなのってあんまりないこともあり、食卓に花を飾ったような気分になったのだった。
生産者名、ワイン名、原産地呼称などの情報、ヴィンテージ。それらの情報を記載するだけならば、ワインのラベルには名刺程度のサイズがあれば十分だろう。しかし、それでは味気ない。
色彩は重要だ。そしてアートは生活に欠かせない。心の潤いを失うことで人は病みもし命を落とすこともあるからだ。
アートは、同じものが人によってまったく異なった見え方をすることを教えてくれもする。アートに触れることで人は多様性を理解し、私とあなたが違うことがわかって、手を携えることができるようになるのだ。
そして、ワインのボトルには、アートを表現できるだけのラベルという名の余白が存在する。素晴らしいことだ。
この画像がなにかといえば、カザマッタを造るイタリア、トスカーナの生産者ビー・ビー・グラーツの公式サイトのトップページ。ビー・ビー・グラーツの公式サイトを訪問すると、出迎えてくれるのは「色彩」だ。
公式サイトのトップページには生産者のもっとも大切なものが表現されるという私の持論に従えば、ビー・ビー・グラーツにとってのそれは「色彩」なのだ。
芸術家一家に育ち、根っからのクリエイティブ気質っぽいビー・ビー・グラーツのフラグシップワインは「COLORE(コローレ)」。イタリア語で色彩。そのものズバリの名称だ。ビー・ビー・グラーツもきっと、「カラー・イズ・インポータント」という言葉に同意してくれるに違いない。
カザマッタ・ロッソを(ひさしぶりに)飲んでみた
さて、そんなカザマッタ・ロッソをビックカメラの店頭で見かけたのでずいぶん久しぶりに買ってみた。ワインを飲み始めたころにおいしいと思ったワイン、今飲んでもおいしいのかチャレンジである。
結論からいえば、おいしかった。サンジョヴェーゼ100%らしい野苺みたいな酸味と果実味。ほんのわずかにキャンディのような甘い香り。どちらかといえば酸味が主体の味わいなので、あれこれ別に初心者向けじゃないのか? みたいに思ったりもしたのだが、初心者時代の(今も初心者だが)私は当時このワインをとてもおいしいと思ったのだった。そうそう、こんな味だった。
軽くて、果実があって、キリッとした酸味もあって渋みは弱め。天気のいい春の日に桜を眺めながら飲みたいようなワインだと改めて感じた。木々が芽吹き、白やピンクや黄色に青、さまざまな色彩が溢れる季節には美しいラベルのワインが似合う。
赤、白、ピンク。オレンジに黄色に黒に緑に……果ては青に紫まで。世界には色があふれていて、その違いを我々人類は愛することができる。色彩とは多様性であり、それを理解しようとする努力をやめてはいけない。
色彩は重要なのだ。人生にも、ワインにも。そしてもちろん世界にとっても。