「山下家」とはなにか
山下家、という場所がある。関東南部の某都市に存在する、個人宅だ。個人宅なので山下さんという個人が住んでいる普通のご自宅なのだが、あるじである山下さんのワイン愛が一般常識をややというかかなりというか大幅に逸脱してしまっていることから、とてもじゃないが「普通のご自宅」と呼べる状態ではなくなっており、その様子は以前記事化した。
そんな山下家が2022年に移転。さらにパワーアップしているというその様子を覗きに、最高気温36度の6月とは思えない酷暑のなかを新・山下家へと向かった。
新・山下家へ
最寄駅で本日ご一緒する家飲みすこ太郎さんと合流し、タクシーで山下家へと向かう。住所を頼りに住宅街を走り、「おそらくこのへん」という場所で料金を支払いタクシーを降りる。周辺には瓦屋根の一軒家に混じり、落ち着いた雰囲気の集合住宅が見える。おそらくあの建物の一室が新たな山下家であるはずだ。
真夏を思わせる暑さ。しかしまだ6月であることで蝉の鳴き声は聞こえない。山下さんから聞いているのは住所だけで、部屋番号はわからない。準備に大忙しであるはずの山下さんに余計な手間はおかけしたくない以上、どの部屋が山下家なのかを見極めて、自分たちでたどり着くしかあるまい。
「2階じゃないですよね」とすこ太郎さん。思えば旧・山下家も1階であった。大量のワインボトルを貯蔵する上で上層階は危険だし、引っ越しの手間も増える。新居もまず間違いなく1階であるはずだ。
1階の部屋の様子をひとつひとつ見ていく。玄関と通路に面した曇りガラスの様子から、室内に居住する人の生活やパーソナルは思ったよりも見えてくるものだ。一言でいってそれは「生活感」と呼ばれるものだ。この部屋の家族は子育て真っ最中だな……などと失礼にならぬ程度に眺めていってある部屋の前で足が止まる。
外界を隔絶するようにピタリと閉ざされた鎧戸。エントランス付近のどこか投げやりな殺風景さ。それでいて人が住んでいる気配だけは存在する。まだ閉じ切っているグランヴァンのような印象の部屋を前に、初対面10分後のすこ太郎さんと私の間にアイコンタクトが成立する。「ここですね」と。果たしてそれは正解で、その部屋こそが新・山下家なのであった。山下さんご無沙汰してます…!
インサイド・山下家
とはいえ目の前にあるのは普通の集合住宅の普通のドアだ。それを開けると、普通の玄関に普通の靴が置いてある。短い通路にはドアが4つ。配置的に左手前のふたつのドアは水回りだろう。それらを除けば奥に続く扉がひとつと、右手にもうひとつドアが残る。
この奥への扉が異界への扉であることがのちに判明するのだが、まずは右手の扉へと案内される。そこにはダイニングキッチンがあり、山下家さんが自作されたという鉄枠と集合材で組み上げられたテーブルが鎮座している。
冷蔵庫があり、ワインセラーがふたつに食材を置く棚がある。窓は閉ざされ、天井からは裸電球が吊り下がっている。照明器具が同じ=光の色が同じなので、内部の印象は旧山下家と驚くほど変わらない。
ダイニングの隣にはもうひと部屋があり、そこには山下さんのもうひとつの専門領域であるウイスキーがおそらく元々は押し入れだったと思われるスペースに並べられている。6畳ほどの部屋には2人がけの小さなソファがあり、そこに掛け布団が乱雑に乗せられている。山下さんの寝床がここだ。小さなソファからは山下さんの体が普通にはみ出すそうだが、山下さんいわく「たまに泊まると快活クラブ(の個室)でも広くて……」とのことでそのソファのその狭さが安眠には欠かせないようだ。忍者ハットリくんは天井で眠り、ザ・ファブルの主人公は浴槽で眠る。人にはそれぞれ熟睡できる場所があるのだ(なんの話だっけ)。
山下家の「セラー部屋」へ
さて、この部屋にないものがひとつある。ワインだ。旧・山下家ではダイニングの壁一面がワインで埋め尽くされ、その隣の部屋はワインの木箱が積み上げられたいわば業者の倉庫状態だった。あの大量のワインたちはどこに行ったのだろうか?
「じゃあ、そろそろはじめましょうか」
山下さんが言い、入り口から見えたもうひとつの扉が開かれる。キッチンがあり、ダイニングがあり、ソファの置かれた部屋を仮にリビングルームとするならば、通常の感覚ならば残る一部屋は寝室だが、あいにくここは山下家。眠るのは人ではなく大量のワインであり、ひと部屋まるまるがワインセラーとなっているのだった。
部屋の広さは4畳半ほどであろうか(あとから聞いたらなんと8畳だそうだ。空間のワイン占有率があまりに高すぎることで完全に目測を誤った)。入って正面と右手の壁はワインで埋め尽くされている。部屋の中央には金属製の枠と集合材で組み上げられたテーブルが設置され、その内部にもワインが大量に格納されている。そのすべてが山下さんの自作だというから驚く。
本数はと尋ねると「800〜900本くらいですかね」と山下さん。そのうちもっとも多いのはやはりイタリアワインで、「ピエモンテだけで200本」はあるというネッビ率(所有するワインのうちピエモンテのネッビオーロが占める率を示す指標)の高さ。
パッと見フランスワインも多くあり、とくにボルドーが目立つ。「ほとんど一人で飲むので」と泡モノの比率は少なく、さらに少ないのが新世界のワイン。1000本近くあるにも関わらず、アメリカワインは「数本あるかないか」なのだそうだ。
山下さんはナチュラルワイン好きでもあるため、オーストラリア(とくにルーシー・マルゴーが好みだそうだ)のワインは多め。日本のワインも多くある。チリやアルゼンチンのワインはほぼないが、なぜか王道中の王道銘柄である「モンテスアルファ」の2014VTが存在し、「面白いから」あと数年熟成させてみるそうだ。熟成モンテスアルファ飲みたい。
これだけの本数のワインを一体どのようにして運んだのか。やはりというかなんというかワインを引っ越し業者の手に触れさせることはなく、日中の暑気が払われた夜にクルマを手配、夜陰に紛れてナイトハーヴェストならぬナイトデリバリーしたのだという。
ダイニングルームとセラールームは、同じ照明と、同じ素材を使った家具が配置されていることで、レストランと併設のバーのような相似形を為している。そのセラー部屋でまず最初の1杯が開栓された。(ちなみにこの日の会は会費制で、料理もお酒もすべて山下さんにお任せというスタイル)
山下家ワイン会のはじまり
「ビール代わりにガブガブ飲みましょう」と出していただいた1杯目はドイツはバーデンの造り手、トラウトワインのペットナット シュペートブルグンダーNV。ドイツのナチュラルなペットナットという珍しいワインで、酸がクッキリとあり、ラベルにあるリンゴをかじったときのような果実味があって、今日のような暑い日の乾杯に最適なワインだった。
このあたりで「ナチュールが生産されやすい産地」の話が出る。山下さんいわくそれは「病気のリスクの少ない土地」であるが、例外といえるのがジュラ。フランスのなかでも多雨な地域ながら、ナチュラルなワイン造りが盛んなんです……そう言い残して席を立った山下さんが1分後にジュラのワインを持って戻ってきた。ジュラの話題が出た瞬間に山下さんコンピュータが起動、自宅のストックからジュラの位置を脳内検索、その後に出すワインの流れまでを計算し、いけると判断して持ってくるまでが1分だ。山下さん、脳にAIかなんか入ってる…?
「ヴァン・ジョーヌまでいかないやつ」だというそのワインの名前はフィリップ・ヴァンデルのサヴァニャン2016。これが非常に面白いワインだった。
ヴァン・ジョーヌはサヴァニャンで造られるジュラの名物。樽に入れたまま補酒を行わずに熟成させるのが特徴で、結果、液体表面には酸膜酵母と呼ばれる膜が形成される。この状態で熟成させることでワインの酸化熟成が進み、独特のニュアンスをワインに与える。このあたりの解説はこの日の同席者であり、ワインを熱心に勉強されているとらワインさんが教えてくれた。すげえなこの会。
私、ならびにすこ太郎さんは、山下さん、とらワインさんの解説を聞きながら「ほえ〜」「なるほど〜」「うひょ〜」などと感心しつつ合間にワインをすする係。特等席である。
このワインはヴァン・ジョーヌと同じような造りながらヴァン・ジョーヌに規定されたほどの熟成期間を経ない(バリック36カ月)というワイン。シェリーのような独特の風味があって、酸化熟成のニュアンスが強くありながら酸味がきつすぎない面白いワインだった。
シャスラとお豆腐
続いて山下さんが出してくれたのがスイスのシャスラで造られた白ワインで、シャトー・ド・マルセールという造り手のキュヴェ名は「Fechy」。シャスラ、「スイスを代表する品種」という痩せた知識はあれど飲むのははじめてだ。
「目をつぶって飲んだら日本酒と勘違いしそうな吟醸香がありますね」と山下さん・とらワインさんが口を揃えるワインで、たしかに米の風味のない日本酒、あるいはブドウの要素を感じないワインといった永世中立国的ニュートラルさがあった。
このワインに合わせて出していただいたのが豆腐の味噌漬け。「白和えくらいを目指しました」と絶妙に水抜きされた豆腐に白いほうは麦味噌、茶色いほうは赤味噌を合わせ、それぞれディルとピンクペッパーで風味付けされた恐るべきことに山下さんのオリジナルレシピだという一品だ。
これおそらく、シャスラを日本酒に見立て、それを引き立てる肴として合わせたのではないかと思う。すさまじくないすかこのセンス。スイスだからチーズとかじゃないわけなんですよ異次元。
ブレットと重慶大厦と私
続いて山下さんが「参考までに」と出してくれたのが、なんとブレットのワイン。ブレットはブレタノマイセスという酵母が引き起こす欠陥臭で、「馬の汗」とか言われる香り。最近購入したワインがあまりに典型的なブレットだったため保存しておいたのだという。
ときは2000年、バックパックを背負ったハタチそこそこの私は香港の重慶大厦(チョンキンマンション)に宿を取った。薄暗い照明の下を多様な人種がうごめくカオス的空間の、一泊たしか1000円もしないような安宿のベッドのあの〜これって交換してますか? っていうシーツの汗とカビの香りを瞬時に思い出す深夜特急的スメル。これがブレットかー!
程度は違えどこの香りがするワインって意外とあるよね……? という印象で、これを珍重する人もいませんか? とおずおず聞いてみたところ「それはナチュールに(悪い意味で)慣れてしまってる人ですね」と山下さん。やべえ。ブレットの香りは還元でも似た香りが出ることがあるそうで、スワリングして飛ぶのが還元香、飛ばないのがブレットとのことだった。山下家、話題もディープだ。
山下さんの日常
ここまでで約4000ワードを費やしているが、会はまだまだ序盤だ。ともあれこの会の模様をはしょる気はさらさらない。畢竟道中は長くなるのでこのあたりで閑話休題、山下さんがこの家でいかに過ごしているのかが気になったので聞いてみた。
訪れる我々にとっては非日常感1000%の山下家だが、山下さんにとっては当たり前だがご自宅だ。ここで一体どんな日常を送っているのだろうか。
朝目覚め、仕事に行き、帰宅する。すると、「夏は涼しく、冬は暖かい」という15度キープのこのセラー部屋に直行し、まずは「ぼけーとする」のだそうだ。テレビもない山下家、21時半くらいまでをワインとともに過ごし、やおら飲み始めるのが山下さんの日常。
山下さんは料理の腕前も尋常ではないが「食べるのに興味ないんです」と言い、「ふだん一番食べるのは松屋。夏はゆで太郎」なのだそうで、「引っ越したら近所にゆで太郎がなかったんですよ……この夏いったいどうしたらいいのか……」と嘆いておられてちょっと総じてつっこみが大渋滞している感じなのだが、ともかく夏の暑さに負けないように栄養はしっかりと摂っていただきたいものである(なんの話だっけ)。
リースリングとバローロ、そして2軒目感
ワインの話に戻ろう。続いて出していただいたのだが山下さんの好きな産地のひとつであるというアルザスの造り手、ジェラール・シュレールのリースリング・キュヴェ・パルティキュリエール 2012。
すこ太郎さんいわく「紹興酒っぽい香り」というワイン。先ほど飲んだジュラのワインに似た印象で、とらワインさんいわく「ジュラはアセトアルデヒド的、こちらは酢酸エチル的」とのことだった。少しツンとするような酸味があるが、スワリングすると丸みをおびた蜜っぽさが顔を出してきて、これもおいしいワインだった。
さて、このあたりから遅れてきた4人目のゲスト・いさみさんも合流。セラー部屋にいるのも(寒さ的に)限界という感じになり、ダイニングルームに移動する運びとなった。ここでも私は驚かされることになる。同じ自宅のなかを数メートル移動しただけなのに2軒目感すごい……!
そんな2軒目、じゃなかったダイニングルームに移動する前後で登場したのは山下家の通称であるピエモンテを代表するワイン、バローロ。「モダンバローロとクラシックバローロの飲み比べです」と出していただいたのが、ルイージ・エイナウディのバローロ ルード2015とマッソリーニのバローロ2015だ。
ルイージ・エイナウディがモダン、マッソリーニがクラシックという飲み比べ。ヴィンテージが揃い、純粋に製法だけが比較できるという贅沢すぎる飲み比べだ。ちなみにどちらも2日前に抜栓されてこの日を待っていたそうだ。ありがてえ……!
山下さんがそれぞれを注いだグラスにペンで「M」と「C」と目印を書いてくれたので、せっかくだからと手元でグラスをシャッフルし、ブラインド状態で飲んでみた。どちらも素晴らしくおいしいワインなのだが、どちらが好きかと問われれば明確に答えることができる。隠していたグラスの印を確認すると「C」のほう、すなわちクラシックなつくりのマッソリーニが私は好みだった。
あくまで酩酊状態の私の感想なのでアテにはならないが、モダンのほうは果実の香りと味わいが豊かに感じられる一方、お酒自体になんていうんですかね。強さ、みたいなものが感じられた。一方でクラシックのほうは香りと味わいが調和してエレガントさがあり、強いというよりはやさしいワインだなと感じられたのだった。
同じ牛肉でも前者はステーキ、後者はしゃぶしゃぶみたいな印象の違い。同じ工程を踏んで飲んだいさみさんはモダンのほうを絶賛していたし、どちらをとるかは完全に好みの問題だと思われる。
「長期間ブドウを漬け込み、大きい樽で長く熟成させるクラシック派に対し、モダン派はブルゴーニュで使われる小樽を導入。モダン派のバローロが早く飲めて果実味があるのが特徴であるのに対し、クラシック派はモダン派の特徴である樽の香りを嫌います。ただ、最近ではモダン派とクラシックの垣根は下がってきてもいます」と山下さん。
モダンとクラシックの違いは醸しや熟成の期間、使う機材の違いなどに求められるようだ。だから、バローロのモダンとクラシックを飲み比べると「醸しは長いか短いか」「熟成は大樽か、小樽か」の違い、つまり醸造の違いまでを感じることができる。私にわかるのは「大好きか、超大好きか」の違い程度なのが残念だが大変興味深い飲み比べをさせていただいた。
山下家とネッビオーロと半熟卵
料理にも言及せねばなるまい。バローロ、すなわちネッビオーロに合わせて出していただいたのが、卵とバターとトリュフペーストで作られた半熟のスクランブルエッグ。これとんでもなくおいしかったんですよ。
20年ぶりの同窓会で再会した幼馴染み(卵)がイタリア人(トリュフ)と結婚して超絶美人になってた級に俺の知ってる卵料理じゃない感がある。卵、幸せそうで良かったね……!
山下家のスペシャリテとして名高いカルボナーラしかり、山下さんいわく「ネッビオーロには半熟卵が合う」のだそうだ。
これにはロジックがある。一般に、(温泉卵をそのまま合わせることを想像するとわかりやすいが)半熟卵とワインを合わせるのは難しい。その理由はワインの果実味と卵の生臭さがケンカをするから。ネッビオーロは基本的に果実味が強く出るタイプの品種ではなく、その果実味のなさが半熟卵と相性がいいのだそうだ。
「牡蠣も同じです。シャブリと牡蠣は合うと言われますけど、シャブリって果実味がないですよね。同じシャルドネでも、果実味たっぷりのカリフォルニアのシャルドネだと合わないんです。同じ理由で、半熟卵にモダンなバローロのバリック(小樽)のニュアンスは合いません」(山下さん)
ゆえに、半熟卵に合うのはクラシックな、果実味が強く出ていないネッビオーロ一択ということになる。ド頭に出てきた豆腐とシャスラしかり、この場所で出てくる料理はすべてペアリングまで考え抜かれているのだ。レストランならわかるわけなんですよ。ポイントはここが個人宅である点だ。最高だ。人間の突出した部分だけが人間が持つ可能性の枠を拡張し、次の時代をつくっていくのだ(なんの話だっけ)。
山下家マジックと菊鹿シャルドネとドゥラモット
ワインの話に戻ろう。ちょっともしかしたら順番が前後しているかもしれないのだが、バローロと並行して飲んだのが菊鹿シャルドネだったと思う。ノンヴィンテージのほうですね。
これは以前購入して自宅で飲んだことがあるのだが、この日飲ませていただいたもののほうが美味しく感じた。山下家マジックだ。
果実味がたっぷりとありながら、それでいてキレイ。菊鹿は価格帯が上でヴィンテージが記載される「樽熟成」の世評が高いが、この日のメンバーの間ではノンヴィンのほうが好きという声が多く聞かれた。たいして飲んでないのでアレだが、私の飲んだ限り日本ワインのシャルドネではこれがベスト。おいしい。
続いてはこの日の参加者のうちの一人にお祝い事があることが判明したことを受けて抜栓されたシャンパーニュ、ドゥラモット。
ドゥラモットは珍しく何度も飲んでいる銘柄だがこの日この場所で飲んだドゥラモットが過去イチおいしく感じられた。「自宅で瓶熟成2年くらいしています」とのことだったので、それの影響だったのか、たしかに熟成感があり、複雑でふくよかな印象に分厚い花束のような甘やかな香り。非常にいいなこれ。シャンパーニュは1日のどのタイミングで飲んでもおいしい。
南アフリカのサンソーと紅に染まりきらない豚
次に出していただいたのがこれも山下家では珍しい印象の南アフリカのワイン。サヴェージのフォロー・ザ・ライン(2018VT)がそれで、ちょっと驚くほど良かった。
南アフリカワインならではのクセがなくわかりやすい味わい。茎っぽい青さと果実の甘酸っぱい感じがグラスのなかで四つ相撲してる感じのこれ自分の一番好きなやつじゃんっていう味わい。ここにきてスイスイ飲めちゃうやつは相当危ないですね……!
これに合わせていただいた料理が豚肉のロースト。豚の枕詞は「紅の」だが、これが紅にギリギリ染まらない桃色の豚で、つまり火入れが完璧で、箸で切り分けられるタイプのポルコちゃんだった。
それにしてもオーブンから小まめに出し入れし、その都度芯温を計測しながら焼き上がりのタイミングを見極めつつ我々ゲストにワインを注ぎ、同時に会話にも耳を傾けて場も盛り上げてくれる山下さんの場さばきスキル、実は双子の弟がいたっていうミステリでよくあるパターンな気がしてくるレベル。あのときワインを取りにドアから出て行ったのが山下(兄)で、直後に戻ってきたのが山下(弟)だった……!?
ジュラふたたび
さて、次にグラスに注がれたのは本日2杯目にいただいたジュラのワインだった。酸膜酵母熟成を経てシェリーみたいな風味があるって言ってたやつ、まさかのカムバック。もちろんそれには理由があり、次にいただいた料理がジュラの郷土料理、鶏肉のシェリー煮込みだったのだった。ジュラの郷土料理が出る個人宅はじめて。
鶏肉、きのこ、たまねぎをシェリーと生クリームで煮込んだ料理は当然ながらシェリーの風味があるので、ワインとの相性が本気出した握手級にいいのは言うまでもない。冒頭に貼られたジュラの伏線、まさかの会の最終盤で回収である。山下家、それは飲食可能なタイプのミステリー小説。
そしてここで疑問が生じる。2杯目のワインは「ジュラの話題が出たから」と山下さんがあくまでも話の流れで持ってきてくれたものであったはず。その話題も山下さんが自分から出したのではなく、とらワインさんが「自然派ワインの産地」の話題を振り、その流れでジュラの名前が出たと記憶している。あの会話が偶然ならばあらかじめジュラの料理を仕込んでおくのは難しいはず。ならば完全なる即興でジュラのワインが選ばれ、それに合うジュラの料理が後付けで選ばれた……? それともまさか……とらワインさんも共犯……!?(なんの話だっけ)
アルザスとピノ・グリとブルーチーズ
与太話はさておいて、この日最後に栓が開けられたボトルはルシアン・アルブレヒトのピノ・グリ フィングスベルグ グランクリュ。これまた山下さんのお好きな産地・アルザスの生産者で、山下さんはピノ・グリも好きな品種なんだそうだ。一番好きなのがピノ・グリとおっしゃっていたような気もするが、このあたりになってくると私の記憶もかなり曖昧だ。違ったらごめん。
このワインはいさみさんがしきりに「青リンゴ感がある」と言って気に入っていた。とらワインさんは「ピノ・グリもペトロール出ます?」と質問していた気がする。私はといえば「はちみつみたいでうまいなあ」みたいなことを思っていた。この時点で時計の針は午後9時を回り、昼間から6時間飲み続けた私の脳は抽象的思考が不可能となっている。
最後の料理がすごかった。ベースはブルーチーズで具がブラックオリーブ。それを少しのクリームで伸ばしたソースのロングパスタだったのだがこれが今グラスに入っているアルザスのピノ・グリと合うof the 合う。
ブルーチーズと甘口ワインを合わせる感じのペアリングに、ブラックオリーブの塩味が実にいいアクセントになっている。この一皿、「オリジナルレシピでつくってあとから調べたらイタリア・ヴェネトの郷土料理だった」んだそうですよそんなこと起こり得るんだ……!
山下家のワインペアリングまとめ
料理はこの一皿が最後の皿。文章の展開上の理由から本文で言及していないものも含め、料理とワインをまとめてみよう。
とうふの味噌漬け×シャスラ
じゃがいものガレット×シャルドネ
トリュフ風味のスクランブルエッグ×ネッビオーロ(バローロ)
豚肉のロースト×サンソー
鶏肉のクリーム煮×サヴァニャン(ジュラ)
ブルーチーズとオリーブのパスタ×ピノ・グリ
以上に加え、万能おつまみ的に山下家定番のポークリエット&レバーテーストwithバケットが供されている。なんだこれ最高。改めて料理とワインを並べてみると、即興感がありながらもしっかりとワインと料理が寄り添っていることがよくわかる。大満足だった。
このようにして、結局私は7時間山下家に滞在した。すこ太郎さんが「7分に感じましたね」という名言を発しておられたが同意だ。ただ現実のニュートン力学的世界では体感時間を大幅に上回る7時間分の時がキッチリ流れている。その間山下さんは目視できる範囲では一度も席に座ることなく、自分で作った料理も食べず、ゲストにはワインに合わせたグラスを選びつつもご本人はひたすら小ぶりなテイスティンググラスで飲み続け、それでいて酔っている様子はまったく見受けられなかった(私はひさびさに完全なるポンコツ状態=完ポコ状態になり果てました)。すげえな山下さん。
山下家と山下さんの底はまだまだ見えず、興味は尽きない。願わくばまたお邪魔して、さらに深く掘り下げていきたいと思う次第だ(暗に誘ってもらうことを期待しつつ)。
必要なのは「よいときOne」ただひとつ。
こちらはAmazonで買えるピエモンテセット(そこそこおいしい)