ヒマだしワインのむ。|ワインブログ

年間500種類くらいワインを飲むワインブロガーのブログです。できる限り一次情報を。ワインと造り手に敬意を持って。

日本ワイン144年史。シャトー・メルシャンを飲んで国産ワインの歴史に想いを馳せた話

日本ワイン144年史とシャトー・メルシャン 椀子シャルドネ

目の前に一本のボトルがある。シャトー・メルシャン 椀子シャルドネだ。メルシャンといえば国産ワイン大手。椀子ワイナリーは優れたブドウが採れるその自社畑であるはずだ。

そのワイナリーの名前を冠した国際品種の白ワイン、果たしてどんなワインなのだろうか……と調べはじめて気がついたが、私はメルシャンのことをまったく知らない。

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シャトー・メルシャン 椀子シャルドネを飲みました。

というわけで、シャトー・メルシャンの公式サイトを訪ね、手始めに「HISTORY」のページを開いてみた。

それが、日本ワインの144年史をひもとくことになるきっかけだった。

ここから先はガッツリ歴史の話だ。歴史に興味がない人は読まないほうがいいレベル、弊ブログのいつもの感じ(『このワイン樽ドネっていうよりたる☆どね! って感じだよね!』 みたいなの)とは大きく異なるトーンになることを、最初にお断りしておく。

シャトー・メルシャンと空白の72年

さて、シャトー・メルシャンのHISTORYページには、今日に至るシャトー・メルシャンの歴史年表を見ることができる。その歴史は、こうはじまる。

1877 大日本山梨葡萄酒会社 設立
1949 甘味料を混ぜない本格ワイン「メルシャン」誕生

私は思った。「72年飛んでますけど?」と。この間なにがあったんだろう。

気になる。

私、気になります!

というわけで調査開始である。

まずメルシャンのwikiを見てみると、そもそもメルシャンがメルシャンブランドを傘下に収めるのは1961年。日清醸造株式会社を吸収合併した年であるようだ。シャトー・メルシャンの年表だと1949年に「メルシャン誕生」が記されているから、メルシャンがメルシャンブランドを取得したのはシャトー・メルシャンの年表で示されているより後ということになるわけだ(わかりにくい)。日本醸造という聞き慣れない社名も出てきた。

わからないことは先送りして、ともかくメルシャンのwikiからは1877年から1949年間の事情を知ることはできなかった。

となると、72年の空白を埋めるために差し当たり私が知りたいのは、「大日本山梨葡萄酒会社がその後どうなったのか?」だ。

「大日本山梨葡萄酒会社」で検索してみると、今度はサントリーの公式サイト内の「日本ワインの歴史」というページがヒットした。

大日本山梨葡萄会社と高野正誠と土屋竜憲。そして宮崎光太郎

そこには衝撃の事実が記されていた。大日本山梨葡萄酒会社は設立から9年後の1886年に早くも解散しているというのだ。

えっマジ。メルシャンの前身問題どうなっちゃうんだこれ。メルシャンはキリンホールディングス傘下でサントリーとは関係がないためサントリーのサイトにメルシャンについての記述は当然ながらこれ以上はない。ただ、同記事には、その先の手掛かりになりそうなこんな記述があった。

1877年(明治10年)、日本初の民間ワイン醸造所が設立されます。 それが、「大日本山梨葡萄酒会社」(メルシャンの前身)です。 この会社から、高野正誠と土屋龍憲(※サイトの表記は竜憲)という二人の若者がフランスに派遣され、本場のワイン醸造技術を二年間学びました。
フランスから帰国した二人は、宮崎光太郎と共にワインの醸造を始めました。

3人の人物の名前が出てきた。きっと、彼らがのちのメルシャンへとつながる糸を握っているはず。

読み進めると、その後土屋龍憲と宮崎光太郎は甲斐産葡萄酒醸造所を設立し、さらにその後土屋はマルキ葡萄酒(現・まるき葡萄酒)を設立したとある。

どうやらメルシャンにつながる糸は大日本山梨葡萄酒会社から甲斐産葡萄酒醸造所に引き継がれたようだ。余談だが、「日本ワインの父」と呼ばれる川上善兵衛にワイン造りを教えたのはこの土屋龍憲だったようだ。さしずめ日本ワインのグランドファーザーといったところ。

 

甲斐産商店と宮崎光太郎未来人説

さて、その設立メンバーである「宮崎光太郎」とは何者か。名前で検索すると、メルシャンの親会社であるキリンの公式サイト内の「日本のワインのパイオニアたち」という記事がヒットした。

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宮崎光太郎。たぶん未来からきた男。

宮崎光太郎は、1877年設立の大日本山梨葡萄酒会社の設立発起人の一人の長男。本来は高野、土屋両名とフランスに行くはずだったのが、「一人息子だから」と父の猛反対にあい泣く泣く諦めた、という人物だ。

この人には商才があったようで、土屋龍憲とともに甲斐産葡萄酒を売る会社「甲斐産商店」を東京・日本橋1888年に設立すると、ワインのラベルに大黒天をデザインし、広告にも大黒天のイラストを起用、いまでいうブランディングを行って拡販に成功すると、薬用として病院へも販路を拡大、明治天皇の御大婚25年式典に献上するなどして、ブランドの名前を高めることに成功していったようだ。優れた営業マンであり、マーケターでもあるって感じ。

1892年、宮崎は勝沼の自宅に「宮崎第一醸造所」を開設。1912年には隣接するブドウ園と合わせて「宮光園」として公開、1913年の国鉄中央本線勝沼駅(JR勝沼ぶどう郷駅)開業に合わせてブドウ醸造所見学を行う観光事業を企画したとある。

これちょっとすごすぎませんか。東京からワイナリーを訪問してブドウを食べ、ワインを飲み、温泉に浸かって帰る。130年前にワインツーリズムを提案してたとか先見の明があるどころの話じゃなくて宮崎光太郎タイムトラベラー説まであり得るレベル。転生したら宮崎光太郎だった……!?

 

大黒葡萄酒株式会社と第二次世界大戦。そして日本連抽株式会社

さて、1922年には国産スパークリングワイン「オーシャン」を発売するなどなんだかんだ順調に発展した甲斐産商店にも時代の荒波が押し寄せる。世界恐慌の煽りを受けて販売不振に陥ると、経営を立て直すため大黒葡萄酒株式会社へ改組(のちにオーシャン株式会社に改称)される。

キリンのページはここで終わり。では、その後はどうなったか。この後第二次世界大戦へと突入していくというなかで、大黒葡萄酒の歴史、というか日本のワイン造りの歴史は記録が極端に減る。ほとんどの記事がこのあといきなり戦後。

いろいろ探すなかで、「日本のワイン」のwikiにこんな記述を見つけた。

第二次世界大戦中にワイン製造の際の副次品である酒石酸から生成されるロッシェル塩結晶が兵器(音波探知)の部品になるとして、国内でぶどう酒醸造が奨励され、大増産された

なんと……ワインから兵器(ソナー)が生まれていたとは……! そして、酒石酸から生成されるロッシェル塩を抽出することを業とした会社、日本連抽株式会社の設立に、前述の宮光園が関与していたようだ(宮光園wiki)。

さらに調べると、甲州市が策定した甲州市歴史的風致維持向上計画」のPDFを発見した。それによれば、当時のスローガンは「ブドーは科学兵器」だったそうだ。ワインの近現代史には、ワインが戦争に使われた悲しい歴史があるんだなあ。ブドーは飲み物、そうでなければ食べ物である。このあたりの事情は、日本ワインにとってはPRすべきでない負の歴史扱い、なのかもしれない。

 

戦後。日清醸造と三楽酒造。そしてメルシャン株式会社

さて、戦後、日本連抽株式会社は日清醸造となる。M&A Onlineの記事『宮光園、ワイン産業に浮かびくる「秘数3」|産業遺産のM&A』によれば、大黒葡萄酒も日清醸造も「同じ宮崎光太郎の生家の敷地内で始まった」とある。そして、その日清醸造が1949年に発売したワインが、「メルシャン」だ。

1877年から72年。大日本山梨葡萄酒会社からメルシャンへと、ようやく歴史の糸がつながったことになる。長かった……。

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1949年発売の「メルシヤン 」。甘味料を加えない“本格ワイン”だ

その後、日清醸造は味の素の創業者の次男である鈴木忠治が設立した会社、昭和酒造株式会社(1949年三楽酒造株式会社に社名変更)に1961年に買収される。三楽酒造は1962年にオーシャン(大黒葡萄酒)を買収し、1990年に「メルシャン株式会社」と社名変更、今に至る。キリンホールディングス傘下の国内最大手ワインメーカーであることは説明する必要がない。

1949年の「メルシヤン」発売からさらに72年。大日本山梨葡萄酒会社設立から144年。二人のフランス語を一言も話せない若者二人が三等客室に揺られて渡仏してから1世紀以上の時を経て、2021年の今はある。

 

日本ワイン144年史とシャトー・メルシャン 椀子シャルドネふたたび

目の前に一本のボトルがある。シャトー・メルシャン 椀子シャルドネだ。さっきからずっと私の目の前に置いてあるわけだが、以上のような歴史を知る前とはまったく違うボトルに見えるから不思議だ。

大日本山梨葡萄酒会社、甲斐産商店、大黒葡萄酒株式会社、日本連抽株式会社、日清醸造、三楽酒造、オーシャン株式会社、メルシャン株式会社、宮光園と宮崎光太郎……、いったいどれだけの人が関わった果てにこの1本はあるのだろうか。我々消費者にはなんの関係もない話だけれど、ワインはそんな歴史の重みも味になる。

テイスティングコメント云々は、今回は語るだけ野暮だろう。日本ワイン144年の歴史に乾杯である。

 

<参考サイト>
・SUNTORY「日本ワインの歴史」
https://www.suntory.co.jp/wine/nihon/column/rekishi01.html

・キリン歴史ミュージアム「歴史人物伝」
https://www.kirin.co.jp/entertainment/museum/person/wine/09.html

・シャトー・メルシャン 「ヒストリー」
https://www.chateaumercian.com/aboutus/history/

M&A Online「宮光園、ワイン産業に浮かびくる「秘数3」|産業遺産のM&A
https://maonline.jp/articles/miyakouen?page=3

 ・wikipedia「メルシャン 」「日本のワイン」「宮光園」

・ジャパニーズウイスキーデータベースwiki

https://w.atwiki.jp/jwhisky/pages/26.html

甲州市歴史的風致維持向上計画

 

戦時中の葡萄酒製造の歴史は今回調べきれなかった感がある。いずれ国会図書館とか、山梨現地取材とかでガッツリ調べたいところ。