ホーライサンワイナリーとは?
ホーライサンワイナリーという生産者をご存知だろうか。創業は今をさかのぼること97年の1927年。富山で最初のブドウ園として創業し、1933年「蓬莱山葡萄酒」としてワイン造りを開始、今に至るも「やまふじぶどう園」そして「ホーライサンワイナリー」として家族経営を貫く生産者だ。
そのホーライサンワイナリーが下北沢ワインショップの試飲会に登場すると聞き(かつワインが非常に素晴らしいと聞き)、ショップを通じて取材を申し込んだところご快諾いただいた。
インタビューに応じてくれたのはホーライサンワイナリー株式会社代表取締役で、やまふじぶどう園の4代目・山藤智子さん。
以下、私・ヒマワインとのインタビュー形式で、話の合間にその後の試飲会で飲んだワインの感想を交えつつお送りする。さっそくいってみよう。
やまふじぶどう園と、ホーライサンワイナリーのはじまり
ヒマワイン(以下、ヒマ):まずはやまふじぶどう園の歴史について教えてください。
山藤智子さん(以下、山藤):昭和3年、私のひいおじいさんが拓いたのがはじまりです。大正末期の米騒動(1918年に起きた米価格急騰に伴う暴動事件)は富山から起こったんですが、米がないと酒ができない、酒がないと祭りができないということで、当初は米を作ろうとしたそうです。
ヒマ:米騒動が背景にあったとは。すごく歴史を感じます。
山藤:ところが土地に水がなくて米が作れない。そこで、「ブドウから酒ができるらしい」と聞いて、ブドウを植えたんだそうです。
ヒマ:うーん、先見の明がすごいですね!
山藤:風が強いので吊るして栽培するブドウにとって病害が少ないのはいいんですが、赤土で水はけの悪い肥えた土壌のため、それでも栽培は大変です。歴史あるワイナリーはみんな家族が犠牲になってます(笑)。
ヒマ:家族はタダ働きみたいな……。
山藤:それもあって、2代目の私のおじいちゃんは酒造免許を売ろうとも言っていたんです。それを私の父(3代目、現会長)が止めたそうです。
ヒマ:おお、お父様ファインプレーです。3代目はワイン造りに情熱を燃やされていたんでしょうか。
山藤:メルロー、カベルネ・フランなどのヨーロッパ品種に力を入れたりと情熱はありましたが、ワイン造りから配達まですべてをこなしていましたから、ずいぶん苦労はしていましたね。母が経理をして、私も小学生のころから売店で接客をしていました。「それ辛口やで」とか言って(笑)。
ヒマ:令和の今では考えられませんが、昔は小学生がワインを売ってもあまり違和感なかったかもしれません(笑)。
山藤:ワイン造りが軌道に乗り始めたのはボジョレー・ヌーヴォーのブームの頃でしょうか。それまでは生食用ブドウの食べ放題などのお客さんが多かったんですが、ブームに乗って新酒を売り始めたらそれがフレッシュな味わいのものを好む富山のお客さんにウケて、そこからワインのほうが売り上げとして大きくなっていきました。
ヒマ:山藤さんが4代目となったのはいつですか?
山藤:2021年です。それまでCMO(チーフ・マーケティング・オフィサー)として経理からブランディング、ウェディングやバーベキューなどのイベントを手がけていましたが、父も70を過ぎたのでさすがにいつまでも社長させてるのも悪いと代替わりしたんです。
ホーライサンワイナリーのラベルの秘密
ヒマ:ホーライサンワイナリーのワインはラベルがすごく特徴的ですが、これは4代目が手がけてるんですか?
山藤:そうですね、2013年くらいから面白いラベルをはじめました。覚えてる限り5、6回ワインブームってきていると思うんですが、(ときどきの流行りに流されず)日本らしい、富山らしい、楽しめるネーミングにしようと考えたんです、飲みながら。
ヒマ:飲みながら考えるのめちゃくちゃ楽しそうですね…!
山藤:「ときわすれ」というワインは、友人たちと飲んでいたらどんどん味や香りが変わって、まろやかになっていったワイン。それで気がついたら朝になっていたから「ときわすれ」。
ヒマ:楽しい時間は過ぎるのが早い的なことですね。その間にワインはどんどん変化していく。ふたつの意味が込められていて、いい名前です。
山藤:「たけなわ」はその名の通り「宴たけなわ」のイメージ。「べつもの」は樹齢40年のカベルネ・フランを使い、オークチップを使ったもの。飲んだ瞬間に「これ別物やん!」となったのでこの名前です。
ヒマ:さらっとおっしゃいましたが日本に樹齢40年のカベルネ・フランなんてあったんですね!
山藤:だいたい日本では30年が寿命なんて言いますね。40年頑張ってくれて、去年植え替えてしまったので、もう飲めないワインです。私は若いころフランが苦手で、切ってしまえばいいと思ってたんです。でも父がブレンド用にいいからと残していた。それを単一で仕込んで、長期間瓶熟させるとすごいことになるんです。
ヒマ:ワインは全部で何種類くらいあるんですか?
山藤:15種類は販売していますね。それに裏メニューも3種類くらいあるんです。
ヒマ:裏メニューとは?
山藤:何回もリピートしてくれるお客様にお出しするやつです。本数の少ない熟成したものも裏メニューです。
ヒマ:ラインナップ、非常に多いですよね。
山藤:祖母が92で亡くなったのですが、最後のほうは甘口ばかり飲んでいました。私の母は今はロゼばかり飲んでいます。人の好みってどんどん変わっていくんです。だから軽くて甘いのから重いのまで、いろんな種類を造っているんです。
ホーライサンワイナリーのワイン造り
ヒマ:いま、ワインはどなたが造っているんですか?
山藤:私の息子が今24歳なのですが、今年からは彼と、彼の右腕的な若い社員がいるので、そのふたりにほとんど任せています。
ヒマ:すごい、5代目もすでに参画していらっしゃるんですね。
山藤:事業承継が難しいという話はよく聞きますが、すでに5代目がいるのはすごく頼もしいです。だからこそできることが増えました。私も新しいことやろうか! と考えたり。
ヒマ:5代目はどこかで修行されたんですか?
山藤:オーストラリアに行こうとしていたんですが、コロナでダメになり、逆にウチのやり方をしっかり見て学んでもらうことにしました。変なクセをつけず、ウチのやり方でやってもらおうと。
ヒマ:ホーライサンワイナリーの「やり方」ってどんなものなんでしょう?
山藤:手作業ですね。気温が上がったりして、ブドウ栽培も年々手がかかるようになってるんです。ブドウに傘をかけるとか、海外からしたら考えられないですけどやっていますし、芽かきなんかも、こんなことまでやっとるんかくらいやっています。
ヒマ:手作業、つまり手間をかけるということですね。やはりこれだけ暑くなると大変ですよね。
山藤:ただ、2023年は良かったんですよ。暑過ぎて病気が飛んでしまった。29年ぶりです、そんな年は。最高のヴィンテージになりました。
ヒマ:富山の2023はグレートヴィンテージ!
山藤:「今年は病気がなくてよかったね」みたいに適当に言われるんですけど、1994年以来なんです。「いやいやすごかったやん!」って言ってます(笑)。メルローはなにもせずとも濃いし、この「山藤(マスカット・ベーリーAの赤。未発売)」も開けた瞬間から香りがぐわっと来たり。まあ、すごいですね。その分熟成が必要になるとは思いますけど。
ヒマ:出来がいい分、熟成が必要になると。
山藤:軽いのはいつでも採れるんですよね、早摘みでもなんでもして。でも濃いのは無理。狙ってできるもんじゃない。
ヒマ:日本のワインで「濃い!」っていうのはなかなかない印象です。それってどうしてなんでしょう?
山藤:水分量です。降ってほしいときに降らないのに、降ってほしくないときにめっちゃ降る。ソーヴィニヨン・ブランなんか1回の雨で粒が破裂しちゃいますし、ましてやピノ・ノワールは無理。「(ピノ・ノワールは)北陸では禁句です」って言ってます。
ヒマ:そういうもんですか。
山藤:ハウスかなんかじゃないと無理でしょうね。30年くらい前にピノ・ノワールも植えたんですよ、私の父が。ひと畑ぶんだけ。すぐに切りました。
ヒマ:経営判断が早い(笑)。
山藤:大胆なんですよ、ウチの父。シャルドネもひと畑ぶん植えて、「香りが出ん」って言ってすぐ切ったり。
ホーライサンワイナリーとワイナリー経営の話
ヒマ:そうやって選抜されて残ったのが今のメンバーなわけですね。メルローとか、フランとか。
山藤:合うものだけってわけにもいかないんですね。早稲(わせ)のものもあればそうでないものもあるし、収穫時期も選びます。
ヒマ:そうか、収穫時期がズレてなくちゃいけない。
山藤:ウチは生食用も25種類くらい作ってますけど、それも同じことです。リスクを分散しながら、いろんな品種を楽しんでいただく。
ヒマ:多品種を栽培することで収穫時期、出荷時期をズラす。それによりリスクヘッジができる。
山藤:そして、いろんな方の好みに合わせられるんです。
ヒマ:ワイナリー経営のお話、非常に興味深いです。
山藤:ソムリエさんがよく「テロワール」って言われるんですけど、よくわからないんですよ。私たちが言うもんじゃないなと思ってます。お客様が飲んで「やっぱりこれ、やまふじさんとこのだよね」って思ってもらえる安心感があればいいのかな。
ヒマ:「やまふじさんとこの」って、お客様に言われる特徴ってどんなところなんでしょうね?
山藤:永遠に飲める。死ぬまで飲める。どんな世代でも。家族経営の強さでしょうけど、毎日家族で食べて飲む。そうすると、若い子が好きなものと私たちがおいしいと感じるものが違うことがわかるし、それが変わっていくことも当たり前のように知っているんです。だから、「息子が二十歳になったから」と買いにくるお客様にも好みを合わせられるし、普段ビールしか飲まない人、日本酒好きな人……とそれぞれに合わせられるんです。
ヒマ:だから「死ぬまで飲める」わけですね。まったくの余談ですが私も死ぬまで元気に飲むのが人生の目標です。
山藤:不真面目に飲んでほしいんです。あんま香りがどうだこうだ言うなって(笑)。
ヒマ:グラスくるくる回してないで飲め! と(笑)。あくまで食中酒、食事と一緒に楽しむものというイメージですね。富山の酒文化のなかにあるワインというか。
ホーライサンワイナリーが目指すもの
山藤:今はストレス社会で、お酒だけじゃストレスはなくなりません。イベントをやって、いい音楽聞いてお酒飲めば楽しいやん! と思っていましたが、そうじゃない方も多い。だからこそ、働く人も楽しいし、来てくれた人もリフレッシュできる、そういう空間を作りたいと思ってるんです。姉が臨床心理士なので、カウンセリングも受けられます。
ヒマ:え、すごいっすね。カウンセリングが受けられるワイナリー。
山藤:新しく宿泊施設も計画しているんです。おいしい富山の食と、ワインとを、夜通し食べて、飲んでができるように。私もお客様と飲めますしね。「あっ、社長また飲んでる!」って怒られるんですけど(笑)。
ヒマ:価格帯も非常にお安いですよね。特別なワインを除けばほとんどが2000円台。
山藤:日本酒でも言われますが、2000円の壁ってあるんです。デイリーで飲むお酒は2000円を超えるとまず出ない。私はそれを打ち破らんとと思っているんです。それができんのだったらもうやめたほうがいいくらいに。
ヒマ:それはどうしてですか?
山藤:やっぱり従業員の給料にも反映させたいですから。もう従業員に我慢をさせる時代じゃないです。
ヒマ:1000円台では従業員の給料を上げられないと。それができなければ従業員も集められないし、すごく大切なことだと思います。
山藤:「安いから買う」じゃない、その価格(なりの価値)を見てくれっていう価格にしたいんです。一方で、日本の平均賃金が上がらないうちは(デイリーワインは)税込2530円くらいから値上げはしたくない。問屋さんへの利幅も大きくするからこの値段にさせてほしい、多少資材が値上がりしても4、5年は値上げしません、って言って、値付けをしています。
ヒマ:そうしないと地元の商圏とかも含めてサスティナブルでなくなってしまいますもんね。
山藤:たとえば富山県だとまだ女子だけ制服があるとか、女子は事務でお茶注いで、みたいなところがまだまだいっぱいあるんです。だから女性が定職につかない・つけない。県外に流出してしまう。次の世代、その次の世代のためにも、富山に移住したいと思う人を増やしたいんです。
ヒマ:それが山藤さんのミッションなわけですね。富山に来てもらう、究極は住んでもらう。ワインを通じて、そのための場所を作ってらっしゃる。
山藤:冬はずっと曇ってて暗いですけどね(笑)。人間らしく冬は休もうぜ、こたつに入って飲めばいいじゃん、っていう働き方です。カウンセラーもおりますのでね。
ヒマ:落ち込んでも大丈夫(笑)。では最後に、「どこで買えるの?」というお話を伺いたいです。ホーライサンワイナリーの場合、オンライン販売とかよりも、直接来て買ってもらうことを重視している印象です。
山藤:東京でいえば、東京ってなんでも買えるわけですよね。だったらもう買えなくしてやろうと(笑)。
ヒマ:そんな!(笑)
山藤:声がかかったら行こうかなくらいに思っていたんですが、東京はやっぱり難しいですね。好みがわからない。
ヒマ:あくまでも販売は地元中心で行こうと。それだけに、山藤さんのワインはこれだけの歴史と規模がありながら、失礼ながら東京ではマボロシ感さえあります。
山藤:でも、富山ではスーパーで売ってるんです(笑)。
ヒマ:あくまで地域に根ざした、「地のもの」と合う地酒という感覚。なんか、それこそ本来のワインのあり方なんじゃないかって気がしてきます。今日はありがとうございました!
インタビューを終えて
いかがだっただろうか。山藤さんのエネルギーにあふれた素敵な人柄の一端でも伝えられたら幸甚だ。
やまふじぶどう園のワインは「行かないと買えない」。ただし、お高く止まってるわけではまるでなく、むしろ正反対。タップひとつでなんでも買える時代に、あえて自分たちの場所に来てもらって、一緒にワインを選ぶ。そんな時間を楽しみたいし、大切にしたい。ホーライサンワイナリーにはそんな人たちが集っているのだと思う。
なんでも便利にすればいいわけではない。そんなことみんなわかっているが、これがなかなかどうして簡単ではない。「不便」を選択するのはすごく難しい。ワインのコト消費化、なんて言えば耳触りはいいが、そんなことでもたぶんない。
地元・富山を盛り上げたい。ただ漠然と“盛り上げる”と口にするだけでなく、事業を次代に承継し、雇用を守り、女性が働きやすい環境を整備し、若者の県外への流出を防ぐ。それらをワインを通じて行なっていく。そして、自園を5代目、6代目に引き継いでいく。そのためには、この方法がベストなのだ、きっと。
経営者目線、そしてもちろん地元の名士でもあろう立場から語られる言葉は、地方創生といったお題目でない、その土地に根ざしたリアルなものだと感じた。そしてその思いはきっと、米騒動のあとの富山で「祭りのための酒」を造ろうとした初代の志と響き合っているのだと思う。
蓬莱山は、中国の東方の海上にあるとされた不老不死の仙人が住む山。秦の始皇帝は方士・徐福をその地に派遣し、不老不死の霊薬を持ち帰らせようとした。徐福はついに蓬莱山に辿りつかなったが、ホーライサンワイナリーには幸いにもたどり着ける。北陸新幹線が便利だ。富山駅から30分で着くそうだ。
そんなわけでいつか富山を訪れた際は、ぜひやまふじぶどう園を訪ねたいし、読者の皆様にも訪問をおすすめしたい次第。「あさっぱら」から飲み始め「ときわすれ」な感じで「たけなわ」まで飲みたい。楽しい時間になりそうだ。
貴重な機会をいただいた下北沢ワインショップとお忙しい時間を割いてインタビューに応じてくれた山藤さんに改めて感謝したい。ありがとうございました。