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アルマン・ルソー、プリューレ・ロック、そしてブルゴーニュ大学へ。フランスで奮闘するワインメーカー・ゲンキさんの話が面白すぎる【生産者インタビュー】

フランスで働きながら勉強中! ゲンキさんに話を聞いた

ワインの生産の現場にいる人にインタビューしたい! と唐突に思ってはじめたシリーズ、今回はフランスで働きながら学ぶゲンキ(@Genki_Wine)さんに話を聞かせてもらった。やがては日本でグランヴァンをつくりたいというゲンキさんのインタビューはめちゃくちゃ面白い話の連続技。さっそくいってみよう!

 

30歳、ワーキングホリデーでフランスへ

ヒマ:まずは、ここまでのキャリアを教えていただけますか?

ゲンキ:実家が栃木でブドウ農家をやっているんですが、ワインに興味を覚えたのは学生時代です。大学の近くにあったお店で、1000円くらいで売られていたカベルネ・ソーヴィニヨンがすごくおいしくて、衝撃を受けたのをきっかけにワインにハマっていき、卒業後はエノテカに入社。4年勤めました。

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フランスで働き、そして学ぶゲンキさんに話を聞きました! (写真はプリューレ・ロックでのピジャージュ中のひとコマ)

ヒマ:エノテカではどんなお仕事をされていたんですか?

ゲンキ:ショップ勤務です。東京の数店舗での勤務を経て、最後の勤務地は軽井沢だったんですが、そこで地元の農家さんたちとのつながりができて、そこからワインを造りたいと思うようになったんです。

ヒマ:それでフランスへ行かれたわけですか。

ゲンキ:そうですね。当時30歳でワーキングホリデーの制度を利用できた(※一般的にワーキングホリデー制度を利用できるのは30歳まで)こともあり、せっかくだし海外で修行するかと。そして一生をかけてワインを造るならまずは王道だろうと、フランスを選びました。

ヒマ:最初はワーホリだったんですね。どうやって働く先を見つけたんですか?

ゲンキ:実はフランスに行く前から、働けるドメーヌを紹介してもらえないかコネをあたってみたんです。でも見つからなかった。そこで南仏の小さなドメーヌで一カ月ほどファームステイをしていたのですが、あまり勉強にならなかったんです。そこで、あるきっかけからブルゴーニュで働きたい! と履歴書を30件くらいメールで送ったんです。

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フランスに渡って間もないころのゲンキさん。後ろの建物がドメーヌ・アルマン・ルソー

ヒマ:そのきっかけとは?

ゲンキ:ブルゴーニュを旅行したんです。ジュヴレ・シャンベルタンの村をちょっと歩くだけでシャルロパンがあったり、ドニ・モルテがあったりするのをみて、すごいインスピレーションを受けたんですね。それでブルゴーニュで働こうと決めました。

ヒマ:メールの結果はどうだったんでしょう?

ゲンキ:まずは第一志望の30軒、次に第二志望、次に……と考えていたのですが、第一志望の段階で良い返事がいくつも来たので、当時は興奮して手が震えました(笑)。実はブルゴーニュのドメーヌはどこも正社員のほか春から収穫期にかけて季節労働者を雇います。どこも人手を求めているんです。履歴書を送ったのは3月頃ですが、「健康」「フランス語ぎりぎりわかる」「運転免許持ってる」の3つが揃えば仕事を見つけること自体は簡単でした。シャソルネイ、のちに働くプリューレ・ロック、ドニ・モルテ、アンリ・ジレ・ビュイッソンからOKの返事がきて、一番早く返事をくれたシャソルネイで即決したんですが……5月になってアルマン・ルソーからも「収穫と醸造をやらないか?」と連絡がきたんです。

 

アルマン・ルソーでの「記憶に残る面接」

ヒマ:いきなりすごい話になってきましたね(笑)。

ゲンキ:2017年最大のニュースでしたね(笑)。それでルソーの面接を受けることになったんですが、面白いエピソードがあるんです。当時僕はムルソーに住んでいて、クルマを持っていなかったので、ルソーのあるジュヴレ・シャンベルタンまで電車に自転車を積んで行く予定だったのですが、面接当日に電車がストで運休になってしまったんです。

ヒマ:げっ、最悪ですね。どうしたんですか?

ゲンキ:とりあえずムルソーの隣のボーヌまでは自転車で行ったのですが、そこから先の電車もない。ルソーではどうしても働きたい。「遅れる」と電話したら「他にも候補がいるから来なくていいよ」と言われるかもしれない……と思って、とりあえずヒッチハイクすることにしたんです。

ヒマ:行動力がヤバい!

ゲンキ:ヒッチハイクがもともと好きなんですよ(笑)。ところが、普段はけっこう停まってくれるものなんですが、この日に限って一台もつかまらない。時間もない。そこで、自転車で行こう! と。

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アルマン・ルソーで収穫から醸造までを経験したという

ヒマ:ボーヌからジュヴレ・シャンベルタンってどれくらいの距離感なんですか?

ゲンキ:35キロくらいですね。

ヒマ:フルマラソンよりちょっと短いくらい……!

ゲンキ:ルソーで働きたい一心で1時間半自転車を漕いで、着いたら約束の時間の5分遅れ。ちゃんとした着替えも持っていたのですがそれに着替えるヒマもなく、汗でビショビショの状態で遅刻を謝罪したら「遅れたのはいいけどいったいなにがあったんだ?」と(笑)。「電車が欠便したので、ムルソーから自転車で来た」と伝えたら「こんな奴ははじめてだ!」と即採用してもらえました。

ヒマ:映画みたいな話だ……!

ゲンキ:当代の娘のシリエル・ルソーさんからも「記憶に残る面接だった」と言ってもらいました。

アルマン・ルソーでの仕事について。仕事終わりのシャンベルタン・グランクリュとは!?

ヒマ:アルマン・ルソーでの仕事はどんな内容だったのですか?

ゲンキ:収穫と醸造、つまり畑とワイナリーどちらもやらせてもらえました。僕が働いた2017年は、コート・ドールの、特にピノ・ノワールは豊作でした。それだけにタンクはパンパン。ピジャージュ(タンク上部にたまった果帽を液体中に沈める作業)を担当したタンクでけっこうワインをこぼしちゃいまして……シリエルから「シャンベルタン1本分無駄にしたぞわかってんのか!」と叱られました。

ヒマ:ひえー。そりゃシビれますね。

ゲンキ:一番印象に残っているのが、「デキュヴァージュ」という、発酵の終わったワインをタンクから抜いて、タンク内に残った皮や種などの固形部分をシャベルでかき出す作業です。大変な力仕事なのですが、その年のワインの仕込みが終わる、象徴的な瞬間です。これをルソーでは朝9時からやるのですが、たとえばシャルム・シャンベルタンのタンクのデキュヴァージュをした日は、作業後に当主のエリック・ルソーがシャルム・シャンベルタンを1本カーヴから出してきてみんなで飲むんです。朝10時にサンドイッチをかじりながら、ルソーのシャルム・シャンベルタンを飲むわけですね。翌日はクロ・サン・ジャック、翌々日はクロ・ド・ベーズ、と。そして、最終日がシャンベルタン・グランクリュなんです。

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ルソーでのデキュヴァージュの様子。力仕事!

ヒマ:居酒屋で閉店後にみんなでお疲れビール飲むみたいなノリで「お疲れシャンベルタン・グランクリュ」するわけですね。すごい……!

ゲンキ:僕はもう全神経を集中させて朝からルソーのシャンベルタン2006を飲みましたよ。でも働いている人はみんな慣れているので、「おいしいね」なんて言いながらガブ飲みしてましたけど(笑)。ルソーとの契約は1カ月だったので、その後シャブリに移りました。

 

シャブリ、プリューレ・ロック、そしてブルゴーニュ大学へ

ヒマ:なぜシャブリに行かれたんでしょう?

ゲンキ:2017年の10月だったんですが、その時点でワーホリのビザが残り3カ月だったんです。冬は経験の必要な剪定の季節なので、経験の無い僕はなかなか仕事が見つからず。最終的にはフランス全土に300件くらい履歴書を送りまくったのですが、そうしたらシャブリのドメーヌが採用してくれて、剪定を教えてくれて、しかも労働ビザも出してくれたんです。

ヒマ:めちゃくちゃ親切ですね。

ゲンキ:シャブリは知名度は高いけど、ブルゴーニュのなかでは田舎で、コート・ドールに比べると地味なんです。コート・ドールのほうがワインの値段も高いですし、給料もちょっといい。そのためシャブリは慢性的に人手不足なんですね。フランスでビザが取れなかったらオーストラリアで大規模で先進的なワイン造りを学ぼうと思っていたんですが、結局シャブリでで2年半働いて、仕事はそこで覚えました。

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「仕事はここで覚えた」というシャブリの畑

ヒマ:その後、ブルゴーニュの学校に行かれるんですよね。

ゲンキ:シャブリでは2年働くっていう約束があって、それを果たして満を持してボーヌの学校に入学しました。国立の職業訓練学校なんですが、ボーヌ校だけ通常2年のコースを1年で学べるんです。半分学校、半分仕事のコースなので、プリューレ・ロックに雇ってくれないかと聞いたら、快く受け入れてくれました。そのコースも2021年の8月に終わって、9月からはブルゴーニュ大学の学生です。

ヒマ:ヨーロッパは働き方や学び方の多様性が日本と比較にならないなー。ブルゴーニュ大学ではなにを?

ゲンキ:「ぶどうワイン研究所」の1年コースに通うんですが、その先にフランス国家醸造士(DNO)っていう醸造に関する学位としてはトップのものをとれる2年間のコースがあって、今はそこを目指しています。「ぶどうワイン研究所」は36人の定員に対して150人の応募があって、補欠5位でギリギリ入れました。

 

今後の目標「日本でグランヴァンを造りたい」

ヒマ:その後はご帰国される予定ですか?

ゲンキ:そうですね、最終的には実家を継ぎたいと思います。せっかく祖父の代から続くブドウ園もありますし、育ててくれた親や栃木県に恩返しがしたいです。雇用をつくり、観光客も誘致して、地元に貢献できれば僕の人生も意味のあるものになるかなと。

ヒマ:もちろんワイン造りを通じてということですよね。

ゲンキ:もちろんです。日本ワインを世界に輸出したいとも思っています。おいしいワインをつくれるんだとアピールしていきたい。

ヒマ:どんなワインをつくりたいですか?

ゲンキ:甲州には興味ありますね。日本唯一の(固有の)ヴィニフェラ種ですから、それを売っていかない理由はないと思うんです。甲州以外にも日本の天候・土壌に適したブドウはあると思っていて、たとえばアルバリーニョやプティ・マンサンなどもやってみたいですが、甲州をグランヴァンのレベルに持ち上げたいと思っています。

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フランスで学んだことを活かし、日本でグランヴァンを造りたいという。

ヒマ:そのためにはなにが必要なのでしょう?

ゲンキ:もちろん、すでにみなさん努力されていると思いますが、実の凝縮度を高めていくということだと思います。収量制限もそうですし、アパッシメント(収穫後に陰干しすること)するとか。パスリヤージュ(ブドウの実を収穫せず樹になった状態で完熟させること)するとかも変化球的だが面白そうです。

 

「普通のワイン」と「グランヴァン」の違いとは?

ヒマ:ちょっと脇道に逸れますが、そもそも「普通のワイン」と「グランヴァン」はなにが違うと思われますか?

ゲンキ:ディテールだと思います。どんな分野でも90%のクオリティまでは簡単で、そこからの10%にめちゃくちゃ努力が必要だって言われますよね。芸術でも、料理でも。ワインも同じで、畑でいえば枝がこんがらがっていてもブドウはできます。その枝をすべて整理するには何百時間もかかって、それで「1%の違い」にしかならないかもしれません。でも、その積み上げだと思います。たとえば、プリューレ・ロックでは22ヘクタールの畑に対して120人の収穫人を雇うんです。普通は22ヘクタールなら30〜40人くらいだと思うので、ロックは桁違いです。

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プリューレ・ロックのクロ・ゴワイヨットで霜対策のためロウソクを灯した2021年の春の様子。朝から飲んでる……!

ヒマ:それも「1%の違い」のためですか。

ゲンキ:収穫の人数は数も大事ですし、速度も大事です。どちらもコストにつながりますから。ロックは人数はめちゃくちゃ多いですが、スピードは遅いんです。なにをしているかといえば畑で徹底的に選果している。ロックは醸造中になにも入れないんです。瓶詰め前にちょこっと亜硫酸を入れるだけ。なので、病気の実を入れるとワインが劣化するリスクが高い。だから腐った実やカビは絶対に入れない。だから畑で選果し、ワイナリーでもさらに選果する。

ヒマ:当然、いいブドウしか残らないわけですね。

ゲンキ:それによって生まれる違いは1%だけかもしれません。でもそれを積み重ねる。それが普通のワインとグランヴァンを分けるんだと思います。

ヒマ:ゲンキさんが栃木で造るグランヴァンを飲む日が楽しみすぎる! 今日はありがとうございました。 

<おわり>

 

ゲンキさんの話を聞いて「アルマン・ルソーで働きたい……!」と思ったのは私だけではないはず(笑)

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